kieloの歴史講座~高校受験を考える~

kelo太郎とぶつかりながら、元教師kieloがマンツーマンで行った歴史の学習から、実際のノートの記録などを用いて、ポイント解説を行います。理解できたか確認するための問題や復習ドリルも準備したいと思います。

第一次世界大戦ってなぜ起こったのさ!

kelo太郎が危機らしい。第一次世界大戦がわからない・・・とつぶやいた。

知っていることリストアップしてみ!

あのね。分かるんだよ。三国同盟でしょ。三国協商でしょ。あとバルカン半島、軍艦、戦車・・・・兵器の進歩でしょ。

ほーっ!んじゃ分かってるんじゃん!

んでも、分かってるんだけど、分かんないんだよ。・・・・ねぇ、このモヤモヤ分かる?

んー・・・・まぁ、分かる。知ってるけれど理解できないってコトでしょ。



起こるべくして起こった第一次世界大戦
まぁ、すごく簡単に流れを確認してみる?
市民革命→ヾ(´∀`)ノワーイ 自由だ、平等だ!→産業革命→ヾ(´∀`)ノワーイ もうけるぞ!資本主義→(。・ω・。)ノぁぃ♪もっともっともうけたいんです!帝国主義→欧米のアジアアフリカ侵出→植民地奪取争い→第一次世界大戦


そして、もう一つの流れ
市民革命→ヾ(´∀`)ノワーイ 自由だ、平等だ!→産業革命→ヾ(´∀`)ノワーイ もうけるぞ!資本主義→経済格差・社会問題→ムリッス、ツイテイケナイッス(乂・д・`)社会主義ロシア革命


つまりな、歴史上の出来事って立場の違う人から見たら、いいことだったり悪いことだったりするワケよ。資本主義「自由>平等」と自由より大切にする考え。資本主義が現れるのは、「もうけたい、お金欲しい」っていう人たちの当然の流れだよね。でも、その中で成功した人・国は行き過ぎたた資本主義=帝国主義に突き進んでいくようになったんだ。つまりね、乱暴な言い方だけれど、「欲しいものは力ずくでも奪う自由があるんだぜ」ってこと。(なんか、ジャイアンみたいだなぁ。)
 一方で、もっともっと働け!って使われる立場の人や持っているモノを奪われる人や国の立場を考えれば、「自由ってこんなことだったのかよ!」と怒りたくなる気持ちも分かるだろ?こういう人たちは、いろんな抵抗を試みる。その抵抗の一つとして現れたのが「自由<平等」と、より平等を大切にする社会主義の考えなんだ。


大体さ、自由と平等の両立ってすごく無理のあることなんだよ。フランス人権宣言は実現がすごく難しいことを言ってると思う。第1条にあるだろ。「人は生まれながらに、自由で平等な権利を持つ。社会的な区別は、ただ公共の利益に関係のある場合にしか、設けられてはいけない」kelo太郎は、自由で平等かい?

うん。多分ね。でも、どうして?

んじゃ、極端な話、隣の席の人の消しゴム欲しいって思ったら、それを奪う自由はある?

ばかじゃない?あるわけないじゃん!

だよね。自由とわがままは違うよね。んじゃ、みんな平等にするので、明日から国民全員にどんな仕事をしても給料は同じにしますよ~ってのは?

いやぁ・・・・だったら楽な仕事をした方がいいね。だってもらえる給料一緒でしょ。


 ソウなのだ。どちらも問題だよね。歴史の中で、何度も何度もそういった問題は起こっていて、そのたびに人類は「自由って何?」「平等って何?」って悩みながら進んできたんだ。実は「自由」「平等」ってのが、とても大切だってコトは、みんな分かっているんだな。けれど、その言葉の中身が問題だし、考えること自体がとっても大切。


 今、kelo太郎が「ばかじゃない」って言ったコトを、「俺たちには、もうける自由があるんだぁ」と行動に移してしまったのが帝国主義。これは、全くもって「自由」をはき違えてるよね。しかも、同じモノを大勢の人や国が欲しがるってことが当然あった。だから、他の国で外国同士が軍隊引き連れて「この国はオレの国じゃないけれど、この国の資源や土地や産物はオレのモノだ」とにらみ合って、びっくりなことに戦争起こしちゃうっていう現実があったわけだ。家のテーブルに置いてあるお菓子を、よその家の子どもが2人勝手に入ってきて、「オレが食べるんだよぉ」ととっくみあいのケンカをしているようなモノだ。
 第1次世界大戦は、このとっくみあいが地区のあっちこっちで起こったあげく、ケンカしている子どもを応援したり、見物したり、はたまた、おこぼれに預かろうとしたりする野次馬がどんどん増えて、地区対抗お菓子争奪戦になっちゃったようなもの。「おれたちゃ、よその家のお菓子を食べる自由があるんだぁ」って言いながらね。


バルカン半島で起こった取っ組み合い
 小競り合い、にらみ合いはいろいろあったんだけれど、教科書では特に帝国主義の火花が散っていた「バルカン半島」を取り上げてているね。※地図で確認してみよう。
 バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」といわれていた。火種があったら爆発するぞってこと。それほどの国際的な緊張が存在した場所だった。
取っ組み合いの当事者
 この爆発の原因になるのは、当時帝国主義の波乗り損なった2か国。ロシアとオーストリア。どちらも、バルカン半島で欲しいものがあったわけ。それは「海」。
 当時、産業革命で生み出された軍艦は、大量の武器と兵隊を乗せて、アジアやアフリカに向かっていたわけだ。ところが、やる気は十分なのに、この2か国は足止めを食らってたわけ。理由は簡単。オーストリアには海がない。少し前に起こった戦争で、やっとバルカン半島に進出した。だから、ぜったいにバルカン半島は手放したくない!ロシアはロシアで困ってた。海はあるけれど、残念ながら、ほとんど北極海。半年にわたって凍ってしまう。ロシアの悲願は不凍港を手に入れること。その海の玄関になりそうな、明らかに自分よりも弱い国が狙われたってワケ。


サラエヴォ事件勃発
 この事件。教科書にも書いてある。バルカン半島を馬車で移動していたオーストリア皇太子夫妻がセルビアの青年に襲われ、死傷したのをきっかけにオーストリアとロシアの軍隊が衝突し、第1次世界大戦が始まった。(これで分かったらすごいぞ!ちなみにkorloは中学生の時わかんなかったぞ)


 疑問1 なんでバルカン半島にオーストリアの皇太子がいる?
 疑問2 なぜ、セルビア人がオーストリア皇太子を襲うの?
 疑問3 オーストリアが怒るのは分かるけれど、どこから出てきた?ロシア!
 疑問4 オーストリアとロシアが戦争になって、な第1次世界大戦になっちゃうの?


これが、第一次世界大戦のきっかけとされる事件だけれど、この疑問に答えられるかな?教科書手がかりにして、考えてみよう。


つづく・・・


参考:東京書籍「新編 新しい社会 歴史」
    帝国書院「社会科 中学生の歴史」
    正進社 「歴史の資料(標準版)」
    山川出版「詳説日本史B 改訂版」
        「日本史用語集 」
        「詳説日本史史料集」


 おことわり


あくまで歴史の苦手なkelo太郎のために作った「歴史講義」の記録ノートです。歴史学的な観点から、細かなご指摘があることは、充分に理解しております。この情報が入っていないとか、この年号には諸説あるとか。あくまでも、中学校の歴史教科書を理解するためのガイドとして、ご覧いただければ有り難いです。(kielo)


最後まで、読んでくださり、ありがとうございました。


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意外と大変!がんばれ聖徳太子(ノД`)

「思考力」って何さ!

聖徳太子さんって有名だよね。

すでに小学校で習っているし、余裕さっ(。-∀-) ニヒ。
なんて思ってたら、「思考力」身につかんぞっ。

    マジでっ!・・・「思考力」って何さ?だって、答えられるからいいだろっ

ぷんっ(-ε´-。))) 

これこれ、怒るでないゾ。あのね~、kelo太郎はそれぞれの言葉は覚えている。

それはそれで頑張った証だ!
しかぁーし!「なぜ」に答えられなくてテストで困ったことはないかい?

まぁ、あるけれど・・・

ね、そうだろ。いろんな言葉を暗記することが学習だって考えている人もいるけど、実はそれだけで理解したことにはならんのだなぁ。知っているってことと、理解しているってことは違うんだよ。言葉が自分に入力されても、本当の意味を分かって、出力することが出来ないと、本当にその言葉の意味を理解したことにはならんのだよ。簡単に言うと、覚えたこと使えますかぁ?っていうこと。もっと言うとね、その理解したことを使って、他の「なぜ」を考える手立てにすることが出来るかなぁということ。ちょっと難しいかな?

・・・よぉ分からん。でも覚えるだけじゃ使えねーってコトは何となく分かる・・・気がする・・・。んじゃ、試しになんか理解できるようにしてみてよ。

んじゃ、聖徳太子さん知ってるかい?知ってるってことと、理解しているってことが違うってことを試してみよう。

聖徳太子さん
★kelo太郎の聖徳太子さんについて知っていることリスト
 飛鳥時代に仏教文化を取り入れ、天皇中心の政治を行おうって頑張った人。
 十七条憲法や冠位十二階は超有名。法隆寺でしょ。あと小野妹子。遣隋使・・・。

Qなぜ聖徳太子さんは、こんなにいろんなコトしたの?結局何がしたかったのさ?


聖徳太子の生きた時代は大変な時代だったんだ。
 まず、天皇はいるけれど、それぞれの土地を支配している豪族がゾクゾクいてね。自分たちのやり方で土地を治めていて、天皇は口出すのが大変だったわけ。イメージすると、天皇は豪族連合の代表ってカンジかな?一豪族ぐらいの力しか発揮できない。もちろん、自分の土地や民はいるわけだけれど、国全体を治めていますって状態ではなかったようだ。
 ということで、豪族はそれぞれ自分の意見を主張するし、誰かが絶対的な支配力を持っているわけでもないし、争いや意見の対立が絶えなかったんだな。
 聖徳太子が10代だった頃、大豪族蘇我氏(そが)と、これまた大豪族の物部氏(もののべ)が戦争しているんだ。ケンカの理由は簡単。蘇我氏は渡来人の家系で仏教を信仰していたんだ。物部氏は当時日本古来の神々を大切にする仏教反対派。これに次の天皇を誰にするかっていう意見の違いがのっかって、戦争になってしまった。
 この時、聖徳太子は蘇我氏に味方して、自分も戦いに参加しているよ。だって、聖徳太子の祖母は2人とも蘇我氏の娘。さらに自分のお嫁さんの1人も我馬の娘だったんだよな。勝ったのは蘇我氏。

それじゃ、ここで負けてたら聖徳太子もいなかったし、仏教もいまみたいではなかったってことか。

ちょい足し ★本最古の寺院「飛鳥寺」を建てたのは馬子さんだ

  これが飛鳥大仏。聖徳太子さんとも合っている。かも?  飛鳥大仏(kielo撮影)

★石舞台古墳は馬子のお墓かも?と見られているんだ           

         

石舞台古墳の外側と内側(入れるんだよ) (kielo撮影)


そんな時に起こった国際的大事件・・・。


中国の大帝国「隋」の登場
やっべーぞ!内輪もめしていた中国の南北朝時代が終わっちまった!~

 589年に大帝国「」が中国を約400年ぶりに統一!その衝撃はただごとではなかったハズ。ちょうど聖徳太子のお父さんである用明天皇が亡くなり、だれが天皇になるかで、またまた豪族がすったもんだしていた頃だ。
 統一された隋は、政治のルール(律令)を整え、朝鮮半島の高句麗に進出し始めたのだ。外に向かって大帝国の勢力が移動しているということは、それまでの国同士のバランスが崩れるということ。さて、聖徳太子になって考えてみ。
(・´ω`・)困ッタナァ...いつか海渡ってくんじゃね?倭も内輪もめしている余裕はないんですけれど。
※ちなみに、まだ日本っていう言葉は使われていなかった。それいうなら、天皇って言葉も使われていなかったんだけどね。
 だよね。聖徳太子は高句麗から渡来した僧慧慈から隋の進んだ文化も学んでいた。聖徳太子の胸中を想像してみよう。今のままで倭は太刀打ちできるのか?


 隋の建国から3年後、女性である推古天皇摂政となった聖徳太子の使命感はハンパなかったのではないかな。なぜなら、聖徳太子は豪族の内輪もめよりも、もっと広い世界、アジアを見ていたからだ。

ちょい足し 摂政は天皇が女性または子どもの場合、その仕事を補佐する仕事をしたのだよ。ちなみに後の時代に出てくる関白は、成人した男性天皇の補佐をする人のことだよ。


 さて、ということで、内輪もめをなくして、なんとか豪族をまとめ、いざというときに一致団結できる国づくりは急務だったわけだ。


 まず行ったのが603年の冠位十二階の制定。内容知ってる?

有力な豪族出身でなくとも、能力のある人物が活躍できるようにしたってことでしょ。なんとか制をやめたっていう。


 うんうん。親の役職や位を引き継ぐ世襲制ね。ちょっと難しい言葉で氏姓制度って言う言葉があるけれど、それまでは、この身分ならこの役職ねという具合に、生まれ持った身分や立場だけで、能力なくても役職に就けたワケなのだ。
 しかし、冠位十二階には、もっと大切な意味があるのだな。それは、位を示す冠を天皇が与えるという仕組み。冠を与えることが出来るということは、与えられる人よりも立場が明確に上であることを示しているのだ。つまり、天皇はあなたたちよりずっと権威があるのですよってこと。天皇を中心にした組織を作るという意味合いがとても強かったのだ!


 さらに、この意識は翌年定められたという十七条憲法で強く現れることになる。
 ※一部抜粋です。


一に曰(い)わく、を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
※みんな仲良くすることを何よりも大切にして、争わないことを基本としなさい。
二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏法僧なり
※心から三つの宝を敬いなさい。三つの宝とは、仏、法、僧侶である。
三に曰わく、(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣(しん)をば則ち地とす
※天皇から命令を受けたときには、必ず従いなさい。天皇は天であり、臣民は地である。(天地が絶対に逆にならないように天皇と家臣の上下関係は絶対である)
※はkieloがkelo太郎にわかりやすく訳したものです、あしからず。  
つまり、ちゃんと天皇のいうことを守って、みんな仲良く、心穏やかに!っていうこと?つまり、豪族たちにケンカやめて仲良くしないと大変だぞってことが言いたかったのかな?

 
 まぁ、この憲法はあくまで役人向けに出されたモノで、一般人向けではなかったんだけ
れどね。十七条すべては書かんけれど、その後に続く条文もずいぶん納得できることをおっしゃっております。ズルしちゃいかんよ、とか。礼儀って大事よ、とか。早起きして一生懸命働こう、とか。興味持ったら調べてみるべし!

ちょい足し ここに至るまで、聖徳太子は推古天皇を補佐して、新羅に軍隊を送って、一説では軍事力強化にも力を尽くしていたらしい

遣隋使を派遣するぞ                      
 『隋書』に遣隋使小野妹子が持参した手紙が記録されている。書き出しはこうだ。
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)。
 この手紙、隋の皇帝である煬帝(ようだい)を激怒させた。なんで倭の王が「天子」何
だよってことみたいだぞ。「天子」っていうのは、この世を治める最高位なワケで、隋的に言うと煬帝1人ってコト。今まで、倭の王は中国の臣下扱いだったわけ。なのに、倭なんていうどっかの小さな国の代表者が自分のこと「天子」って言ってるわけだから・・・当然煬帝としては面目丸つぶれ。ヾ(○`з´)ノプンプン!!!
「二度とこんな失礼な国の手紙を私に見せるな!」という記録が隋書に残っているくらいだ。


聖徳太子が隋と対等な関係を結ぼうとしたって言われているんだよね。倭は、隋の家来ではないぞっていう意思表示だって。


でも、怒らせちゃったら元も子もないでしょ

ウ・・ ウン(-ω-`;。)。


 煬帝は、手紙で返事するだけでなく、自分の家来で位の低い裴世清(はいせいせい)さんを倭に送り込んでます。まぁ、このくらいの使者で充分だろってことかもね。それに、生意気な倭がどれだけの国か見てこいってね。
 でも、倭には、これはラッキーだと思うよ。わざわざ隋から手紙ばかりか、正式な使者までやって来たわけだからね。そこら辺に何か意味があったのかもと、kielo的に思う。
 他の国から見たら、倭に隋が使者を送ったらしいぞ、そんなに仲がいいのかってことに
なるよね。さらに、国内の豪族も天皇に大帝国隋からわざわざ使者が来たぞってことになれば、すごいぞ天皇ってことになる。


 日本の危機を脱するために、かなり頑張っています聖徳太子!
こう書いてくると、何か成功した感がある。しかし、実は根本的に解決できない問題があったんだ。


豪族蘇我氏の権威
 冠位十二階では、蘇我氏には冠が与えられなかったようだ。というのも、与える側に 
立っていたらしい。つまり、一豪族でありながら、その権力も立場も天皇、聖徳太子と同様の力を持ち、天皇中心の政治の例外であり続けたわけだ。
 この例外が暴走することは度々あったが、聖徳太子の死後(622年、一説では621年に大暴走する。馬子は626年に亡くなったが、蘇我氏一族の振る舞いはシッチャカメッチャカ。推古天皇に天皇個人の領地を譲れと迫ったり、聖徳太子の息子を殺害したりしている。

  なんだかなぁ。人って力を独り占めしちゃうと、自分勝手になっちゃうんだね。だれかが、見張ってて止めてくれないと・・・。独裁って言うんだっけ?

おぉ!すごいじゃん。それって、歴史の中で、いろんな人が何度も何度も失敗してきたことを理解するために、大切な視点だな。力を独り占めしない仕組みをどうやって作ったらいいのかっていう視点は、近現代史でも非常に大切。よしよし。

ちょい足し  余談ですが、これをずーっと見ていたのが、中大兄皇子なワケです。 中臣鎌足は、物部氏とともに蘇我氏と戦った一族出身なんだよ。


まとめ
さて、そこでkelo太郎に聞きたい!

Qなぜ聖徳太子さんは、こんなにいろんなコトしたの?結局何がしたかったのさ?
    答えを次の文章の空らんに自分の言葉で書き込んでみよう。

えぇーっと・・・・・

聖徳太子は(                 )ため、十七条憲法や冠位十二階などを定め、(                        )ように国づくりを行った。そして、その試みは(成功・失敗)したと考えられる。それは(                            )からだ。


はい、よくできました(*´∀`*)。


参考:東京書籍「新編 新しい社会 歴史」
   帝国書院「社会科 中学生の歴史」
   正進社 「歴史の資料(標準版)」
   山川出版「詳説日本史B 改訂版」
       「日本史用語集 」
       「詳説日本史史料集」

  おことわり

あくまで歴史の苦手なkelo太郎のために作った「歴史講義」の記録ノートです。歴史学的な観点から、細かなご指摘があることは、充分に理解しております。この情報が入っていないとか、この年号には諸説あるとか。あくまでも、中学校の歴史教科書を理解するためのガイドとして、ご覧いただければ有り難いです。(kielo)


最後まで、読んでくださり、ありがとうございました。近々、「困っちゃったわ、中大兄皇子」のノートを公開します。のんびり、待っていてくださいね。


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理解することと知っているということの違い。

理解するということ

学習が苦手だと思っている中学生たちの多いこと。非常に残念に思います。なぜなら、学習が不得意なのではなく、実は学んだことの出力が苦手な多くの中学生たちが、その中に隠れているからです。とても努力しているのに、なかなか点数が伸びない悩みを抱えている人が多いのは事実です。


そこで大切なのは、決して能力が低いのではないということ。「理解する」ということを大きく誤解している人がたくさんいるとkieloは考えています。


私は社会科の教師でしたが(退職しました)、理解=暗記と考えている生徒が、一生懸命に教科書を丸暗記したけれど、点数が伸び悩み、本人や保護者の方に理由を聞かれることが度々ありました。その理由は簡単です。


現在の中学生は、様々な情報を入手するスキルを多く持ち、使いこなすことができる点で、kieloが中学生だった頃よりも非常に優れていると言えます。


しかしながら、一方で多くの情報から得たことを自分の言葉で語ることが苦手です。


Q源氏物語を書いたのは? 
「紫式部!」
Q藤原道長が行った政治は? 

「摂関政治!」
こういった限定された一問一答式の問いには答えられるのです。しかし・・・
Q平安時代は、どんな時代だったの? 
「・・・・。」


単独の語句を入力することはできるのに、その言葉同士が意味を持って結びついていないのです。だから、質問がちょっと変化するだけで対応できなくなってしまう。
要するに「知識」が構造化していないのです。クイズの解答を暗記しているような学習では、本当の意味で学ぶ力は身につきません。


つまり、表面上「入力」は得意なのに、「出力」が苦手であるという特色を持っているように感じます。あくまで、個人的な意見ですが。


こんなことは、ないでしょうか?
テスト中に
「この問題の答えはノートの(教科書の)この辺に書いてあったんだけどなぁ・・・」
「文章で答えるのが苦手なんだよなぁ」


正直にいうと、教科書やノートの何ページに書いてあったかなんてことは、理解には関係がありません。さらに、言葉は分かるけれど、その使い方が分からないということは、その言葉が示す本当の意味を理解していないということだと思います。つまり、「理解」に到達していないのです。


それでは、どんなふうに理解を深めていけば良いのでしょうか。
それは、出力の訓練の一言に尽きます。


そして、出力の際、最も優れていると私が感じている方法は、話すということです。学習の話をする相手がいるならば。もしそうでなければ、書くこと。ただし、書くということは、問いを自分で見つけなければならないので、大変高度だと言えます。話す時は、相手との会話の中から、理解の違いや共通点に気がつき、互いに考えを深めたり、言葉同士の意味がつながったり、広がったりしていきます。現在、教育界でよく話題になっているアクティブ・ラーニングの考えにもつながっていきます。
ちなみに「アクティブ」とは、子どもがワイワイ話し合っていたり、活動したりしていることを指すのではありません。頭の中が「アクティブ」になることを大切にする学習法です。そのために大切なのは「問い」です。
一問一答の問いでは「思考」は「アクティブ」にはならないし、知識が構造化されることもないのです。


さぁ、歴史の学習を始めよう
息子koli太郎に最初にした簡単な「問い」です。
Q1 次の文にあてはまる文章を、話してみよう(書いてみよう)
         )ので、土器が発明され、結果(         )。


★何を調べても構いません。この(    )に自分の言葉をあてはめて、意味のある文を作ってみてね。


答えは1つではありません。だから、何通りでも答えを書くことができます。
こうした方法で、丸暗記しただけだった言葉どうしのつながりに気がつき、様々な角度から思考力を高めることができます。


点と点を線でつなぐのではなく、知識を網状にしていく
一問一答は点(問い)と点(答え)を結んでいく作業です。学習の基礎としては大切なことです。けれど、それだけでは全く使えないんですね。問いの言葉や、形が少し違うだけで分からなくなります。よって、もし効果のある学習を使用と思うなら、語句のイメージマップをつくることをお勧めします。
★見づらくてスミマセン。これは、kelo太郎と話しながら書いた実際のイメージマップです。


ここで大切なのは、言葉より間に張り巡らせた線や矢印なのです。実は、この線をつなぐとき、子どもの頭はグルグルとさかんに働いています。関係性を言葉で考えるのです。見た目は線なのですが、つなぐとなると「なぜ?」を考えざるを得ないのです。なるべく多くの言葉を多くの視点からつなぐことが重要です。そして、出発点は何でも構いません。今学習している教科書のページの太文字になっているモノから選んでもいいでしょう。ちなみに、このイメージマップの出発点は「聖徳太子」です。前回の講義のまとめを行う前に、頭の中を整理するために書いたイメージマップです。


次回は、このイメージマップを用いた出力トレーニングを紹介したいと思います。


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